最終防衛線

どけぇ木偶の坊!俺が書く!!
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Z28

 俺自身強くなりたいし、俺でなくとも強い人間こそが勝つことを証明させてやる。そのためには自分の手を汚すことさえ厭わない。ドクターTETSUが研究対象として擁している杉田修一と対抗し、西城KAZUYAの下で研鑽を積んでいる大谷辰美との間に軋轢が生じ始めていた。それを何とか食い止めなければ、カサール王国での二の舞になってしまう。ただ、このZ28で大谷の靭帯を切断する程度にバンパーで膝をコツンとぶつければいいのだ。  派手にぶつけちまえば死ぬ。低速で膝を狙うだけでいい。ドクターTETSUはカマロ・Z28の前照灯をロービームにし、サイドブレーキを倒す。左足でクラッチを踏み、右手でファーストギアに入れる。右足でアクセルを煽り、左足をフット・レストに避けてクラッチを繋ぐ。左足を再びクラッチに乗せてセコンドギアに上げると、後輪に力が加わるのを感じる。一定の速度で大谷へと向かう。スピードメーターは30キロ前後に触れている。そのまま大谷の右脚めがけてバンパーと接触させる。大谷は跳ね上がり、一瞬にして轢き逃げの被害者となった。ドクターTETSUはステアリングを大きく右に切り、進路を大きく変えて一気にサード、トップまでギアを変える。大谷の悲鳴はV型八気筒・五.七リッターエンジンのスキール音にかき消され、ドクターTETSUに聞こえることはなかった。

 どれだけ時間が流れようともドクターTETSUの罪が消えることはない。だが私立の医大が屈強なガードマンを雇っているような時代の人であったことや、明友大側の「悪いコネ」と「悪い恩恵に授かれた」ことで、大谷の轢き逃げが曖昧に終わっているように「見せかけて」終わり、大谷と杉田当人も西城KAZUYAが上手く取り持って和解に至った。


 それから数か月後の話である。闇医者としての「悪いコネ」も増えてきた頃だった。公に医者に診て貰えないような事情のある裕福な大人や、道端で泣いている子供まで誰彼構わず相手にし、この日もまたドクターTETSUはZ28で東京都内を駆けていた。夜でも灯りの絶えないにぎやかな街の妖しいきらめきと、穏やかではない雑踏がフロントガラス越しから伝わる。片道四車線で横幅だけ広くて前後は窮屈な道路を低速で進んでいく。東京の道には慣れたがあまり好きではない。セコンドでゆっくりと前の車に引っ付くように惰性で進む。そのうちドクターTETSUに心の底からひりつくような、なんとも言えない胸騒ぎがもたらされる。ただ疾病から来るものではなく、血や肉の遺伝子がそうさせている気配であった。恋という感情とも違う。そこにはきらめく雑踏の中であっても、すでに袂を分けたはずだった男が暗がりの遠目でも視認できた。ブレーキを踏み、サードギアからセコンドギアに減速し、一番左の車線に上手く入り込み、幅寄せして男の前で車を停めた。もう会うこともないと思っていたのに、「偶然」出くわしてしまった。停まらなくてもよかったはずなのに、そのふざけた風貌を前にして「停まれ」と引き合わせた「血」がドクターTETSUのZ28のブレーキを踏ませ、サイドブレーキも引かせた。
「……兄さん」
 徹郎はハザードを焚く。ドアウィンドウのレバーを回しながらその男に声をかけ、怪訝な顔で睨みつけた。
「帝都グランドホテルまで」
 左ハンドルであるために一層ふざけた髪型の実兄――真田武志――の顔が近づく。武志はまるで昨日の続きであるかのように徹郎に話しかけた。
「ヤロォ……こいつァタクシーじゃねえぜ」
「随分派手な趣味になったじゃないか。それに……」
 富山ナンバーのカマロなど殆ど見かけない。徹郎であればナンバーのテンプラも容易いはずであるが、車庫証明を実家で取ってきたのだろう。逆に富山ナンバーのカマロのほうがテンプラにも見える気もするが、闇医者などをやっているくせにそういうところだけはきっちりしていやがる。ガキの頃から何も変わっていない。
「……いや、なんでもない」
 武志は車の往来のタイミングを見計らい、日本車であれば運転席側にあたるZ28の助手席にスッと潜り込む。ドアロックしておけばよかったと徹郎は後悔するも、普段車から離れるとき以外にドアロックをする癖はなかったため、ああ。とだけ吐き、名前だけで所在がわかる豪勢なホテルまで兄と強制ドライブする羽目になってしまった。
 医師の下に生まれ、医学の道を志した兄弟は、医師としての役目を全うしたいがために法に背き、自ら命を落とした父を見て袂を分かった。兄も弟も医師免許を取ったものの娑婆の病院に就かず、「強い」権力にひたすら就いた武志と、ひたすらに「強さ」を研究し、求められれば闇の底まで赴く徹郎は、どうしても「裏の世界」という同じ道へと行くしかなかったのかもしれない。この「偶然」のように。
 徹郎は舌打ちしながらくるくるとウィンドウを閉めて、サイドブレーキを倒し、左足でクラッチを踏み、ローギアに入れる。ただでさえ日本車のスポーツ・クーペよりも横幅のあるアメ車といえども、憎しみ別れた兄が現在進行形で助手席を埋めている。何とも言えない緊張感が徹郎に襲いかかる。アクセルを吹かして、いつもなら違わぬことのないクラッチを切るタイミングを違え、ギャオンとドデカいエンジンが咆哮を上げて、その場で息絶えてしまった。
「ヘタクソ。オートマにしておけばよかったのにな」
「うるせえ」
「いつかはクラウンを通り越して現行カマロとは、俺の知らぬ間に大胆な子になったもんだ」
 仮免の練習に付き合わされて何度もオヤジのクラウンをエンストさせていたヤロオが何をほざく、とそのまま口に出そうとして飲み込み、徹郎はチッ、と舌打ちを重ねた。兄の顔を見ないように再度セルモーターを回してミッションとエンジンを繋いだ。心肺蘇生の如くエンジンが唸り、ギアを上げていく。ただ田舎の国道よりも広いくせに、トロトロと進んでいく都内の道のせいか、ゆっくりと時間が流れるように感じる。傍らの兄はカマロが自分の私物でもあるかのように、助手席側のウィンドウ・レバーを回して開け、スーツのポケットからキャメルを取り出す。ジッポーの油の匂いが紙と葉の焦げた匂いへと変わっていく。「禁煙車だ」と言おうとしたが、この兄に何を言っても無駄であることは数年前から分かっていた。こっちに来てから知り合った整備工場に内装の匂い消しでも頼むか、と車の流れを見ながら徹郎はアクセルを吹かしては止めることを繰り返していた。車内は武志の吸うタバコの紫煙に包まれ、時々煙草を窓に近づけ灰を風で飛ばし、短くなるとそのまま窓から投げ捨てた。
「やめろ、俺の車だ」
「俺の車、か……」
 人の車に勝手に乗って、勝手にタバコを吸って、勝手にポイ捨てまでされたらたまったものではない。流石の徹郎もしびれを切らして武志に忠告した。武志は何も言わず二本目のタバコに火を付けた。思えば洋服や中学の通学カバンだの体操着だの、徹郎はいつも武志のお下がりだった。武志の記憶の中で「徹郎のために」親が新品で与えたのはランドセルと詰襟くらいだったのを思い出す。いつも俺の後ろに引っ付いては兄さんと呼んでいた弟がふざけた髪型になって現行のアメ車で首都を駆け抜けている。昔の徹郎だったらコスモスポーツ、2000GT、Zとか言うと思ったのにな。徹郎が自分で選んで、自分の金で買った車に乗っている。何も変わってないとか思っていたが、時間が経つと互いに変わっちまうもんだな。
 シフトノブを右手で動かしながら、横顔を隠す前髪がかすかに揺れて、前を見据える瞳が見え隠れする。武志は自分がふかす紫煙の狭間に自分の知らない徹郎を見た。右折しようと四車線の右端へ行こうとウィンカーを出そうとして、ワイパーが武志の視界に入ってくる。雨も降っていないのに動き出すワイパーに思わずハハッ、と声に出して笑ってしまった。徹郎は舌打ちして右折の合図に切り替えた。
 夜中であるにもかかわらず絢爛豪華に輝く高級ホテルが見えてくる。三十分するかしないかの兄弟のドライブが終わろうとしている。二人は別の道へと進もうとしていた。もう二度と会うこともないかもしれない。ホテルの入り口にZ28を幅寄せし、ハザードを焚く。武志は降車し、丁寧な手つきでドアを閉めた。徹郎は律義に運転席のウィンドウを下げ、ホテルに入ろうとする兄にそれとなく言った。
「たまには実家にも顔を出してやれ」
 だが武志は振り向くこともなく、ホテルの中へ吸い込まれるように去って行った。

 なんとなく釈然としない気分であったので、徹郎は兄の残り香と共に首都高へ上っていく。夜中の首都高にはチューニングされた国産スポーツ車に乗った命知らずがエンジンを唸らせながら150キロオーバーで数台が固まって突っ走っていく。徹郎も130キロでアクセルを踏み抜き、目的もなくひたすら高速を駆けて行った。少しばかり走りすぎたので、適当なパーキング・エリアに入って休息を取る。やたらカスタムを施された型落ちの日産車が多い駐車場をかいくぐり、自販機で缶コーヒーを買い、車内で味わうこともせず呷った。先程まで兄の座っていた助手席にふと目を移すと、シートに封筒が置かれていた。徹郎はコーヒーをコンソールに置いて、封筒に手を伸ばした。中身を見ると五万円が入っていた。兄が来る前には何もなかったので、武志が置いて行ったのであろう。
「あのヤロオ……」
 徹郎は一気に缶コーヒーを飲み干して、後部座席に置いたゴミ箱に缶を突っ込んだ。兄なりのタクシー代であったことに気付き、徹郎は釈然としない気持ちを未だ引きずりながらステアリングに頭を埋めた。


【了】
2023/8/6 UP
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