黎明と泥濘
十二月三十日だった。バイトの休憩中に携帯メールを確認した庄司慎吾は、送られてきたメールの文面に一瞬だけげんなりした。面倒臭ぇと半分そう思い、残りの半分は正直嬉しさもあった。休憩明けまで時間もある。メールの送り主は既に冬期休暇に入っていたことを思い出し、声を聴くついでにと直接電話をかけてみることにした。
「どうした、慎吾」
電話の相手は1コール待たずに出た。
「テメェが一人寂しく俺様のことを想ってオナニーでもしてるかと思ったから、直接電話してやったンだぜ、有難く思え」
「うっ……、ンなわけあるか……!」
電話口の相手とはそういうことを言えるだけの関係にあった。おうおう、大した下ネタかましたわけでもないのに毎度可愛い反応ありがとうな、と相手に伝えることなく思うだけ思っておき、慎吾は本題を述べる。
「日付変わって正月早々の初詣だろ? 俺は別にいいぜ。どうせ元旦は休みだしよ」
「で、クルマなんだが……」
「ンだよ、テメーまた壁に突っ込まったンか? しょうがねえな?」
「あってたまるか! 夜中って言っても、正月だしな。いつもみてェに駐車場ガラ空きじゃねえからよ、1台で行こうと思ってンだけど……、どうすンべ?」
「テメェが出せ」
相手は迷いのある声を覗かせたものの、慎吾本人は迷いなく即答する。
「1か月前にツインリンク行きてぇとか言った奴にクルマ出してやったのは誰だったかな?」
「テメェだ」
「だから今度はお前が出せよ、慎吾。栃木よか近ぇンだからいいだろ?」
「……ったく、しょうがねえな。ガス代出せよ」
「わかった」
「ところで毅」
「ん?」
「オメエ何してたんだ? オナニーじゃねえンだろ?」
「もっとまともな言い方は出来ねえのかよ……」
「これもまともな言い様だろ、お前が過剰に反応するのが悪ィ」
でかいチンポをどこにもぶち込んだことはないくせに、ケツにぶち込まれて気持ちよさそうにイくような野郎が、今更ナニを恥ずかしがってンだよと更にまくし立ててやろうと思ったが、声帯の手前でぐっと飲み込んで抑え込んだ。まくし立てすぎて恥ずかしそうに拒むような声を聴いてしまったら、それこそ仕事に差し障る。まだバイトは三時間も残っているのだ。
「チッ……、部屋の大掃除だよ」
「ふーん。じゃあ、俺まだバイトあるから」
「ああ、じゃあ明日の十一時に俺んチ来て欲しい」
「わかった、じゃあな」
電話を切ると、初詣なんて何年ぶりだろうな。と慎吾は考えた。記憶を辿るとガキの頃に地元の神社に行ったきりで、めっきりご無沙汰であった。そもそも神も仏もあったモンじゃないと考えている慎吾とは反対に、先刻の電話の相手――中里毅――は、人より信仰心というものを持っている男であった。その中里毅のケツにぶち込んで射精することに快感を覚えたのは、自分が先であった。
秋頃、ややあって中里と自分の幼馴染を会わせる機会があった。初対面で中里はその幼馴染に惚れた。胸を見て、そのあと顔を見て惚れた。慎吾はその一部始終を見て嫉妬した。だから中里を幼馴染に奪われる前に奪ってやった。その独占欲が愛情にすり替わるまでに時間はかからなかった。中里と初めてキスをしたのは、上りの駐車場から向かいの中之嶽神社へと続く地下道だった。強引に口を開かせようとしたが押し留められ、こんな神聖なところで、と中里が困り果てた面を晒していたのを慎吾は今でも鮮明に思い出せる。だから慎吾もキレ気味に、「テメェの宗教がナニか知らねえけど、テメェだって夜中の峠で道交法もへったくれもなく暴走してよ、妙義最速とか言われてるクセにンなチャチなことで神聖だなんだとかって言ってたら、峠で暴走とかクソ危ねェことしてる俺もお前も既にポリ公の世話になってンじゃねえのか? あ?」と焦り半分で自分でもよくわからない理屈を並べ立てて中里に食って掛かっていた。中里の宗教というか、信仰心はそこまで戒律なものではなかったらしく(というか人並みのものらしい)、最初は固く閉じていた口も次第に受け入れてくれていた。冬が訪れる前に中里も件の幼馴染に振られていたし、本当に嫌であればキス以上の行為さえさせてくれない筈だ。慎吾も中里も、互いに妙義のダウンヒルで最速を競い合うライバルというには深すぎた関係にまで至っていた。
ともあれ慎吾は電話を切り、休憩明けまで机に突っ伏していた。
*****
十二月三十一日、二十三時十二分。群馬県安中市。慎吾のアパートからEG-6を飛ばせば中里のアパートまで五分もかからない。だが飛ばしていないし、うっかり飛ばして免停沙汰になるのも嫌だったので十分弱かかった。玄関前で待っていた中里は遅ェよ、とイラついた声で吐き出すも、嬉しそうにEG-6の助手席に乗り込んだ。
「たかだか十分くらい待てねぇのかよ」
「お前も社会人の端くれなら時間くらい守れよな」
「カネ積んでくれたら考えてやってもいいぜ、こちとら末端バイトだ」
中里は更にクソ、と吐く。慎吾とまともに向き合っていたら神経が保たない。慎吾もまともに取り合っていたら神経に障ると思っていた。だが互いの顔にはどこか呆れにも、楽しさにも似たような表情を浮かばせている。他のメンバーと交わすものよりもどこか深く踏み入ったディスり合いに、安寧に似たものを感じていた。行くぜ、と慎吾がそのディスり合いを切り上げると、ギアをローに叩き込み、アクセルを噴かせた。
中里のアパートから国道に出て、更に(飛ばさずに)十五分も走ればヒルクライムの始点――道の駅・みょうぎ――の駐車場へと着くのだが、さすがに大晦日の夜ともなると、道中次々と改造ひとつ施さないドノーマルの車が割り込んでくるため、慎吾はそれに逐一舌打ちし、前のクルマクッソダセェな、やら、ロクにヤマに来ないクセにこういう時だけ来るな、帰れよクソ、やら、おい足立ナンバーだぜ、よっぽど暇なんだな、やらぶつくさ言いながら何度も半クラッチを決め込み、下りの駐車場に着いたのは、今年があと十五分切るかというところであった。何とかして奥の方にEG-6を頭から捻じ込み、鍵を掛け、ふたりは平野とは異なる、慣れ親しんだヤマの突き刺すような寒さに身を曝した。
「クッソ寒ィ、ンなんでよく我慢できるよな、毅」
慎吾は臙脂色で中綿の入ったMA-1から肉厚の紺色のパーカーのフードを覗かせ、その下には長袖のカットソー、更に遠赤肌着、下もこれまた肉厚のカーキ色をした防寒カーゴ・パンツにズボン下、足元は真っ赤なエア・ジョーダンと完全防備の出で立ちであった。MA-1のポケットから手袋を取り出し、洟を啜りつつ、中里を異形のモノを見るような目で睨んでから、道を挟んだ先の大鳥居へと歩を進め始める。
「お前こそ、そんな厚着で汗かいたら風邪引いちまうだろうよ、慎吾」
対する中里は、ぴっちりと全閉した黒のダウンジャケットの下はグレーのトレーナーと薄手の肌着、下は濃紺のジーンズ、足元はアディダス・スーパースター(黒地に白ライン)という出で立ちである。お前こそおかしいんじゃねえのかと言いたげな視線を慎吾に返しながら、その後について行く。
群馬に山神を祀る神社は数あれど、妙義神社の石段はべらぼうに長く、坂は急で、足場の幅が狭い。更にはこの人だかりである。ちびちびと動く待機列、慎吾はふと傍らの中里を見やる。のそのそと足を上げるまでは良かったが、その足を滑らせようとしていた。すかさず慎吾は中里の手を引いていた。
「耄碌してンなよ、ジジイ」
「誰が、ジジイだよ……っ……」
ここに初めて来た長野スレスレの松井田のガキが、妙義の何を知ってンだ。中里が迫るような声色を出そうとして、僅かに上擦っているのを慎吾は聞き逃さなかった。ダウンヒルの攻め方しか知らねぇ。それだけ言うと、再び前を向いた。手は離さなかった。携帯端末が無くとも、何か事が起これば一瞬で拡散されてしまうような泥沼のド田舎で、男同士で手を引き合うなんざと慎吾は思わないでもなかったが、夜中で混み合った場所という強みがあった。誰も見ていないし、最悪知り合いに会ったら耄碌したジジイの介護だ、とか適当言っておけばどうにかなるだろう。掴んだ手は手袋越しからでも伝わるくらいに暖かかった。それから数拍置いて、除夜の鐘が鳴り響いた。男の手を引きながら年を越してしまった。なぜだか、引いた手の熱がこちらに伝わるかのようにじわじわと顔にまで昇ってきた。
「まあ、なんだ。とりあえず、あけまして、おめでとう……」
先に口を開いたのは中里だった。この男もまた、慎吾に引かれた手の冷たさと、手袋越しでも判る指の細さに何かと感じ入ってしまっていたようで、薄暗い中でもその顔に朱を交わらせていた。
「ああ、今年もよろしくな、毅。今年こそ最速ダウンヒラーの座は俺が奪ってやるぜ」
抜かせ、テメェに俺が抜けるかよ。そう返した中里の声色は先刻とは違い、妙義最速・ナイトキッズの中里のそれであったが、顔は朱くしたままであった。本殿に至るまでまたちびちびと歩を進めていった。
「すげえだろ」
「ああ……」
漸く辿り着いた妙義神社の本殿は、中里の漆黒のRを思わせるような美しい黒を纏っていた。さすがの慎吾も感嘆の溜息を吐いている。拝殿前まで来ると、中里は慣れたように賽銭を入れ、二礼二拍一礼する。板金屋の世話になる回数が減るように願掛けをした。慎吾も見様見真似で賽銭を投げ、礼をした。信心深くはないが、とりあえずダウンヒルで中里を超えたいと願っておいた。
帰りは脇道から抜けることにした。来た道は狭く、人も多いためこちらから抜ける方が幾分か楽である。先の混雑から解放されるように自分たちのペースで坂を下りていくと、後ろから誰かが追いかけてくる。
「おっ、慎吾に毅さんだ!! あけおめ! ことよろ!!」
「多田に吉水じゃねえか! おめでとう、今年もよろしくな!」
「あけおめっす! 毅サンは毎年会うけど、慎吾が来るなんて珍しいな!」
「……まあ、俺様も多少は心を入れ替えて信心深く生きようと思ってンでさ。嘘だけどな」
「嘘かよ、テメェここまで来てそれはねえンじゃねえの?」
中里はテンションの高いメンバー二人と拳と拳を突き合せるような、公道ではないほうのストリート系がよくやる挨拶に付き合っている。だが中里のそれがグダグダでメンバー二人はゲラゲラ笑っている。ここは群馬で、妙義で、ナイトキッズの根城である。当然今ここにメンバーの一人や二人いてもおかしくはないし、メンバー自体地元の連中で大半を占めているため、ヒルクライムの始点にあたるこちらの妙義神社、或いはその終点にあたる、上の中之嶽神社に参拝に来る奴は当然いるのであった。
「あ、そういや慎吾」
ゲラゲラ笑っていたメンバーの片割れが、慎吾に声をかけた。
「ンだよ」
「テメェ参道で俺の毅さんと手ェ繋いでたろ、後ろから見えたぜ」
「まずテメェの毅じゃねえだろ、殺すぞ」
ここは群馬で、妙義で、何よりも泥沼のド田舎である。一触即発で深い関係であることがバレてしまう可能性を思い出す。慎吾はやっべェと一瞬焦ったが、ナイトキッズの大半の連中の民度とひねくれ具合は人並みに求められるものではないことも思い出した。だから俺の毅さんなどという言葉が軽率に出てくるのである。本気かネタかはわからないが、男の中の男である中里を抱きたいだの、抱かれたいだのと公言する野郎もナイトキッズに複数いる。正確には自分が中里を抱いているのだが、訂正は出来ない。ご丁寧に訂正したらそれこそ泥沼になるからだ。
「あー、あれは介護だ、ジジイがすっ転んだら事故になりかねねえし、周りにも迷惑かかンだろ。だから心優しい俺様が手を引いて差し上げたわけだ。ついでにこれ以上言及しようモンなら、正月早々俺のEG-6で谷底にぶち込むからよろしくな」
と、マジ入った口調で慎吾が言えば、それを信じてしまうのがナイトキッズのメンバーというものであった。デンジャラス慎吾という二つ名が自損よりこっち、鳴りを潜めたかと思われたが、未だ健在であることを色濃く窺わせていた。
「さっきから何度もジジイ呼ばわりすンじゃねえよ、慎吾」
中里はため息交じりに眉間に皺を寄せる。まだ二十後半でジジイじゃあ、どうしようもねえンべ。呆れながらも慎吾に抗議する。
「そうだぞ慎吾、毅さんまだ童貞すら捨ててねえのにジジイ呼ばわりすンのは失礼だと思うぞ」
「テメェ……!! 多田ァ!! ヤマの駐車場ならまだしもここは神社だぞ?! そういうノリを普通の客がいるところに持ち込んでンじゃねえ!!」
中里は更に声を荒げる。一瞬おいて他の客がいることを思い出し、文字通りまずった、と言わんばかりの焦りの表情を浮かべる。自分が下ネタに過剰反応してしまう事実と、童貞である事実を、公共の福祉という建前を使って打ち砕こうとし、玉砕する。
「おい多田、ナニ正月早々毅サン怒らせてンだよお前」「いやでもこう朱くなって、喰ってかかる毅さんって可愛いじゃんかよ」「まあわからんでもないけどよ」と、普段中里を妙義最速・ナイトキッズのリーダーというより、妙義のフェアリーの如き目で見ているメンバー二人があたふたしているところを、慎吾は付き合っているが故の余裕さからか、中里とメンバー二人のやりとりを何をするでもなく放置しながら、早く下りてヤニ吸いてえ、と欲求をそのまま口にしていた。
「待て慎吾、お守り新しくしてぇし、せっかく来たんだ、おみくじくらい引かせてくれ」
誰に言うでもない独り言ではあったが、中里にはそれが聞こえていたようで、
「まあ、そんくらいいいぜ」慎吾は中里を見るまでもなく、反射で返していた。
そんな訳で男四人は裏の坂を下り切り、授与所でお守りを買い、おみくじを引く。中里の引き当てた末吉という一言でコメントし難い運と、慎吾が引き当てた凶というある意味での強運をネタに、ぎゃいぎゃいわいわい騒ぎ立てながら(中里は半ば呆れていたが)、慣れ親しんだ道の駅の駐車場まで引き返す。せっかく会ったんだしよ、と中里はメンバー二人と慎吾へ自販機に小銭を入れてやり、まあ好きなモン買えよと各々に奢ってやった。ありがとうございます! とメンバー二人が普通の値段の缶コーヒーのボタンを押す。慎吾は普通のものより高いボトルのコーヒーを強請る。おい毅カネ足ンねぇぞ。言いながらわざとらしくあくどい笑みを突きつける。中里はクソ、と舌打ちしながらもさらに小銭を追加してやる。ガス代には足りないが、これくらいはしてやる義理というか、愛情くらいはあった。
年が変わって既に一時間は経過していた。メンバー二人と別れ、EG-6に乗り込むと、慎吾はエンジンを噴かしてから煙草を咥え、火を付けた。同時に中里もダウンジャケットのポケットから煙草を取り出し、一服する。二人分の紫煙が一気に狭い車内に蔓延し、中里は換気しようとナビ・シートのウィンドウを僅かに下げた。慎吾は二、三回吸って、まだ長いままの煙草を灰皿に押し付け、中里が煙草の灰を灰皿に向けるタイミングで、
「毅」
こちらに注意を向かせ、すかさず唇を奪う。秒にも満たない、唇を重ね合うだけのキスだった。
「慎吾……、この、よくも……ッ!!」
中里は諦めたようにまだ長かった煙草の火を消し、キスによって自分自身に点火しそうになった熱く燃えるような何かを冷ますように、更にナビ・シートのウィンドウを下げる。
「ンなに窓開けンじゃねえよクソ、寒ィ……。それより毅、シてェな?」
慎吾はぼそりと呟き、ナビ・シートの窓を全閉させた。びくり、と中里の腰が僅かに疼く。慎吾が求めるそれに、中里はまだ遠慮があった。このまま安中に戻ればがっぷり四つ組みにされるのは確実だろう。それでも慎吾のことは好きだし、されることに悦びを感じているのも事実だった。二十も後半過ぎて、童貞だと言われても別に構いやしなかった。当然ながら女性と親密になりたい想いがないわけではなかったが、13さえ、Rさえいればそれで満たされていたからだ。だが、上り・下りともに妙義最速のレコード・タイムを保持しているくせに、普遍的な一般男性よりも長い童貞生活のレコードを伸ばしながらも、先に処女を失ってしまった中里は、すべてを捨てきれていないのだ。つまるところ中里は、慎吾と幾度となく交接したところで、未だ自身のすべてを曝すのが恥ずかしくて堪らないのであった。
「そうだ、実家だ……!!」
「――は?」
中里は妙案を思いついたような、間の抜けた顔で慎吾を見た。慎吾は文字通り何言ってンだコイツと言わんばかりの腑抜けた面をしている。実家だ。群馬県甘楽郡妙義町。この妙義山のすぐ麓、高校を出るまで生活していた拠点。そこには親がいて、祖父母がいる。弟もいるが、高崎でオールするとかなんとか言っていたので、どのみちいない。どうせ正月には帰るつもりでいた。慎吾もいるが、人ひとり泊めるくらいならどうってことはない。世間体を持ち合わせている人間なら、他人の家で行為に持ち込むなんて出来るはずがない。中里はこれが行為を回避するための正解だと信じていた。
「ああ、どのみち行くつもりだったし、ウチ帰るより近ぇし、なんなら泊ってけよ。明日も休みなんだろ?」
「そうか、悪ィな」
ちょっと待て、と中里が携帯を取り出し、実家に連絡を取り出す。おふくろ? 俺だ。今からそっち行こうと思うンだけど、ダチも一緒なんだよ? 泊めても大丈夫だよな、と二言、三言慎吾の耳に入ってくる。これじゃあ結婚前のご挨拶じゃねえのか、とも思わなくもなかったが、中里のクルマ以外に関する思考はあまり褒められたものではないことを慎吾は知っていたため、黙っていた。
「大丈夫だとよ。急だから布団ねえけど、俺が床で寝るからいいぜ」
通話ボタンを切った中里は、案内すっからとりあえずここ下りてくれと指示する。慎吾はああ。とだけ返すと、頭から突っ込んだEG-6のギアをリターンに入れた。
*****
中里の実家は文字通りの妙義の麓だった。下って五分もしないうちに着いた。拓けた田舎によくある、木造二階建てのでかい民家。広い庭には倉庫と車庫まで屹立している。もともとは農家だとかで畑もあるらしい。車庫に入れていいとのお達しが出たので、今度はバックで丁寧に駐める。Rのタイヤが車庫の隅に積まれているので、何でだ、と慎吾は訊いた。アパートの駐車場が狭いから、昼間ここでタイヤ交換したりなんだりから峠に来ている。そう中里は返す。夜中やると怒られるがな、と笑ってみせた。実家を出てからも整備場として活用しているようだ。立地としては良いじゃねえか。俺の実家じゃそうはいかねえ。イマドキの一戸建てだけど、クソド田舎にあるくせに庭が狭い。親のクルマが駐まってちゃあ整備も出来やしねえぜ。慎吾も笑って返す。
「まあ、入れよ」
先立って中里が引き戸を引き、靴を揃えて玄関に上がる。アパートでもそうだが、こういう中里のスレてなさというか、常識的な所作を見るたびに、中里毅の本質が表れているようで、慎吾はそれを見るのが好きだった。だからと言って自分がそれに倣おうとは思わないので、お邪魔します。最低限言ってそのまま中へ上がっていく。仕方ねえな、と言わんばかりに中里は慎吾の真っ赤なジョーダンも揃える。しゃがんで靴を揃える中里のデニムに包まれた尻を見ていると、慎吾はどうもムラムラして仕方がなかった。
「ただいま」
中里が居間のドアを開ける。父親はテレビを見ながら雑煮をつつき、母親は奥のキッチンで雑煮を煮ていた。中里家の両親と中里毅当人を見やった慎吾はその遺伝子の力強さに慄いた。完全なるフィフティフィフティ。力強い輪郭や体型は父親のそれで、濃い顔は母親のそれである。母親のそれはやはり女性の面であるからか、野暮ったい息子よりも色っぽさを感じる。この親にしてこの息子ありだ。
「こいつ、慎吾」中里はダウンジャケットを脱いで、椅子に掛けながらテーブルで雑煮を食べている父親と向かい合うように座った。ッス、と慎吾は父親に軽く会釈する。中里が座れよ、と言うのでお言葉通りに中里の隣に座った。
「じーちゃんもばーちゃんも寝ちゃったか」
「ああ、明日顔合わせればいいさ」
「それもそうだな」
どうぞ、と目の前に醤油の香りを伴った雑煮が二人の前に運ばれてくる。いただきます、と中里がそれに手を付ける。慎吾くんも。母親に勧められるがまま、いただきます、と連れられるように割り箸を割った。
「もう、たけちゃん。車ばっかり熱中してないで、女の子の一人や二人くらい連れてきなさいよ。やっとシルビアの払いが終わったかと思ったら、スカイラインの高いやつなんて買って……。もう……」
父親の横に座った母親の言葉に、中里はムッとした。慎吾は餅を食いながら、ここは群馬で、妙義で、泥沼のド田舎であることを思い出した。女の子の一人は自分が紹介して、中里は振られた。ずっとだんまりなのも癪なので、ご両親に挨拶がてら一つ二つ話すことにした。
「いやあこいつね、俺の知り合いに告白して振られてンすよ」
慎吾ッ! 中里が声を張り上げると一瞬にしてその顔が紅潮する。
「本当のことだろうよ。まあ、クルマ通じてのダチ同士なんで、割とそういうところで通じてはいたンですがね。如何せんその知り合いが毅クンのこと、そこまでお熱じゃあなかったみたいで」
「こっちとしては、たけちゃんにはそろそろ身を固めてほしいとは思っているんだけどね、長男だし……」
「俺も若いころはクルマに熱上げてたし、そういう気持ちは解らないンでもないんだけどねえ……」
うっわ、親父まで乗ってきやがった。泥沼のド田舎で聞きたくなかったワードナンバーワン。『長男なんだから家のために身を固めろ』いや、ここは泥沼のド田舎だからそういう言葉が出てきちまうか。俺自身もだけど、俺は毅に身を固めてほしいなんて思ってねえンだよなあ。こいつが身を固めちまったら俺は九割九分くらい妙義で、いや、俺自身が走る意義を失っちまいそうだし、そうじゃなくても俺は毅のこと好きだし、紹介した女に嫉妬してお宅の息子さんとヤっちまいましたよ、とでもいっそ言っちまおうかな…… などと慎吾は物騒なことを考え出している。中里は平然を装い餅を食っているが、その顔には焦りが見えていた。
ともあれどうもこうも、慎吾は宅の倅が走り屋をやっていることをご存知らしい中里家の親御様方の土着的概念に痺れを切らし、あくまでも冷静に口を開いた。
「――宅の息子さんの走りは俺の憧れなんです。毅クンを超えることが今の俺の目標、いや、俺だけじゃあない、チームの目標とも言えるくらいスゲー奴なンすよ。ただ、こいつは精神的なところが脆かったりもするンすよ。宅の息子さんだからそういうのお判りでしょう? まぁ、毅クンがいつこれを辞めるか俺には解んねえンすけど、まだ若いし、そういう精神的に差し障るようなことを、親といえども外野が口出しすンのは、もう少しだけ待っててくれないでしょうかね。確かに、妙義を超速度で下ろうが誰にも褒められるモンじゃあないことは、俺も、毅クンも解ってるンすよ。だけど、今はそれをやめられないンすよね――」
うっわ、これ実質プロポーズじゃね? と思いながらも、言い終わってから慎吾は左手で口を覆う。その横で中里が咽返っていたので、中里に向かい強めに背中を叩いてやる。普段悪態しか突かないような慎吾の告白とも取れる言葉は、鈍感な当人もそう受け取っていたようで、餅を喉に詰まらせかけていた。なんとか餅を嚥下することに成功した中里は、焦ったように慎吾に潤んだ眼を向けすまん、と返した。
「――まあ、そういうことだし、俺だって、時期さえくればそういうの、考えっからよ……。だから、正月早々、そういうの、やめてくれよな……。ダチの前で」
ダチという言葉に違和感を覚えながら中里は席を立ち、ダウンジャケットを抱え、それから台所から灰皿を持ち出すと、付いてこいと慎吾を自分の部屋へと案内した。慎吾からはその顔は見えずとも、照明に照らされた中里の耳は、その赤さを曝け出していた。
十八年という長い年月を過ごした、二階にある中里の部屋は、ところどころ空白になっていながらも、その男の過ごしてきた空気をそのまま残していた。窓の外からは妙義山も見渡せる。生まれながらに妙義山と共に育った男であった。色褪せた畳とS110のポスター、学習机にはS12やC110ケンメリGT-Rの模型などが整然と飾られている。
中里は蛍光灯の紐を引っ張り、暖房を付け、部屋のドアに鍵を掛けた。中学の時分に親の存在が鬱陶しくなり自分で付けたという。便所の鍵のようなチャチなものだったが、ガチャリという施錠の重たい金属音に、二人きりであるという証左を見出し、慎吾はこれ以上耐えられなかった。
「わり、やっぱ無理だわ……」
中里が布団を床に敷き、立ち上がろうとした途端尻を蹴られ、布団に転がり込むと、そのまま慎吾に仰向けにされる。両腕を掴まれ、マウントを取られる。慎吾の前髪が中里の頬にかかるまで近づくと、唇を割り、深く絡ませる。拒まれはしなかった。世間体を気にする人間ならば、他人の家で行為に持ち込むなんて出来るはずがない。中里はそう思っていた。しかし慎吾は中里より若かった。だが若さ故の危うさや、向こう見ずがあったし、何より性欲が絡むとそれはどうにもならなかった。それ以前に中里の思う世間体と、慎吾の思う世間体が異なることを、中里自身考えてさえいなかった。自分と同じ世間体を持っているのだと勘違いしていたのだ。
数時間前まで師走だった。互いに仕事と生活があった。峠でも会うが、峠の空気が世間体と闘争心を先立たせたので、性欲は闘争心に書き換えられた。それでも性欲が闘争心を上回ったことがある。その時慎吾はどうにか自分の性欲と中里を捩じ伏せて峠から降りた。半月前のことだった。
「……っ、くっ…………ぅう……!!」
中里は離してくれと訴えるよう、掴まれた腕に力を入れる。だが一回舌を絡ませられ、吸われたら最後、口腔を満たす粘膜の柔らかさに抵抗出来なくなる。こんなところで致せる訳がないと踏んで実家に連れ込んだのに、こうもこの男は……! 僅かに薄目を開ける。慣れ親しんだ自室の照明の逆光に映し出される、峠でも、安中のアパートで飲んでいても、皮肉を顔に浮かべている自分より若い男。こいつが自分だけをこうして見据えるときだけは、切なげな顔を覗かせることを中里は知っていた。そうでなくとも、普段の皮肉めいた悪態を乗せながら笑う顔にさえ、心を?き乱される。中里もまたRと同じくらい、庄司慎吾のやる走りと同じくらい、庄司慎吾当人に心酔していた。
「し、慎吾、テメェ……」
漸く解放されると、テメェだって、と中里の耳元で甘い声を直接吹き込んでから、峠で見せる悪態めいた顔を浮かべ、カーゴ・パンツの右腿のポケットから二、三連なった小分けのローションと、尻のポケットから財布を出し、これまた二、三個連なったコンドームを出して、中里の顔の横に投げ付けた。
「この部屋で、オナニーくらいやってたンだろ? 大して変わンねえべ。我慢してたのは俺もテメェも同じだろ? 積極的なキスしてくれちゃってよォ?」
財布は傍らのロー・テーブルに投げ、濃紺のジーンズ越しから中里自身に触れる。我慢なンざ……、微かに色を含んだ声を乗せた吐息が漏れた。血は確かにそこに集中し始めていた。中里の口にする嫌だ、やめろ、なんて言葉は行為の際の常套句なので、互いにとって普段通りの交接ともいえるのだが、やめろと言われるとやりたくなる質の慎吾は、抵抗される方が一層燃え上がる。デニム越しに徐々に熱く、ぴくぴくと蠢きながら硬くなる脈動を感じていると、自分の息子にも血が滾り始めるのを感じていた。ぞくりと身を震わせた慎吾は、MA-1からパーカー、カットソーと一枚ずつ身を削ぐように脱いでいく。暖房はまだ部屋を暖めてはくれないが、それ以上に目前の男に身の内から熱くさせられていくのだった。
「テメェも、人のこと、言えた義理じゃねえな……、慎吾……」
「あ?」
FUCKだなんだと穏やかではない単語が並んだカットソーを脱いでいた慎吾の下で、中里が上気しながらニヤついていた。上気しているくせに少しばかり余裕のあるツラにムカついたので、ジーンズの前を開け、トランクスごと強引に膝までずらし、その下の陰茎を直接掴んでやった。びくっ、と大仰に腰が跳ねる。ふっ、と声にならない吐息が鼻から漏れた。
「……俺のこと、ジジイ呼ばわりしまくったくせに……、テメェだって、ジジイみてぇなシャツ、着てンじゃ、ねえか……」
中里は息を上げながら慎吾に突っかかる。慎吾は自身の身体にぴったりと張り付いた、ラクダ色をした半袖の遠赤肌着を着たままだった。うら若きガキの面にそぐわないそれを見た中里は、与えられる快感に顔を朱くしながらも、未だニヤニヤしていた。
「っせえな、俺様はテメェみてェに肉ついてねぇンでね。見えねェところで機能性重視してンだよ。テメェは肉体も精神もジジイだから、そっちのほうが問題だろ」
「ンだよ…… 馬鹿にしやがって……」
慎吾は遠赤肌着を脱ぎ捨てると、中里のトレーナーを脱がせ、薄手のランニングも脱がせる。ついでに膝に絡まったままのジーンズもトランクスごと脱がせてかかった。蛍光灯の光の下で、すべてを曝け出すことを拒むように右腕で両の目を隠す。中里の裸体に、慎吾は一瞬顔をしかめる。陰毛はもちろん、胸にも、足にも、脇にもしっかり毛の生え揃った成人男性のそれは、決して綺麗とは言えない。慎吾自身も毎回中里の服を剥ぐ度に、一瞬「何やってンだ俺は」という気持ちが過る。が、その感覚は性欲が上回れば秒もしないうちに消え失せる。中里毅の成人男性然としたその身体が欲しくて、半月我慢していたのもまた事実であった。誰にも捧げたことのないくせに、雄々しく赤黒い陰茎が、いやらしく濡れながらその存在を誇示し始めていた。
「じゃあなンだ、ガキ扱いして欲しいンか? たけちゃん?」
もっと素直になろうねぇ。子供に諭すよう、左耳から甘い声をかけ、舌を差し入れ、軟骨に沿うようにぐるりと舐めまわす。
「ち、が……っ! くっ……っ……!!」
中里はびくびくと震えながら、目を抑えていた右腕を口に持ってきて、甲で押える。目は見開かれていない。羞恥に加え、実家という世間体にも圧し掛かられている中里は、普段よりも早いペースで、触れられずとも陰茎の容積と硬さを少しずつ増やしている。
「違くねぇだろ? それに、テメェだってずっと、俺にこうされたくて仕方なかったンだろうに? 半月シてねぇンだぜ?」
中里とは違い世間体を気にすることなく、性欲に支配されている慎吾だが、常識は僅かに残っていた。その声はいつものように捲し立てるものではなく、優しく囁き続けている。慎吾の舌は左の耳朶から首筋を通って、鎖骨まで来たところで、軽く肌に吸い付き、痕を残す。妙義最速の男を、土着的血の呪いで雁字搦めにされかけている中里家の長兄を、自分の手で性欲の深淵に沈めていることに、慎吾自身もより一層血流が下腹へと誘われる。
中里は世間体も民度も見失っていなかった。声を上げず、鼻から一定の間隔で熱い息を吐き出している。慎吾はクソ、と自分自身を誹るよう発すると、カーゴ・パンツを脱いだ。口元を押さえたまま、自分を睨みつけるよう開かれていた中里の目は、興奮を映し、潤んでいた。涙で濡れた長い睫毛で縁取られ、慎吾を睨みつける瞳を、剃刀のように鋭くもいやらしさを孕んだ眼で見つめ返してやる。背がぞくりと震え、じわりとズボン下にまで先走りが濡れる。中里もまたクソ、と慎吾を誹るように発していた。
「ガキが、股引なんか、穿いてンじゃねえ」息交じりに紡ぐ。「股引じゃねえ、ズボン下だ」「一緒だろ」言い合いながらも慎吾は股引、もとい黒のズボン下とボクサー・ブリーフを一気に脱ぎ捨てた。
睨むような中里の瞳が怯えるような、どこか切なげな色を含ませたものに変遷したことを、慎吾は見逃さなかった。
慎吾が血管を僅かに浮かせた、赤みを帯びた半勃ちの陰茎を露わにさせる。白々しい蛍光灯の光が先走りを反射させ、一層淫猥さを際立たせている。中里は音を立てて唾液を飲み込んだ。恥ずかしさが表立つ。求めてしまったことを否定するよう両膝を立て、首を振った。しかしその裡(うら)で最奥は慎吾を求め、奥深くまで抉られることを求めている。 ヤマでも見せつけたがる男のプライドが、ここでも遺憾なく発揮されてしまう。初めて身を曝すわけでもないのに、毎回相も変わらずいやいやと拒む中里を、慎吾は堪らなく愛おしく感じてしまう。自分よりも年上で、定職に就き、Rを養い、一人前に自活出来ている男。質実剛健を体現した妙義最速の男が、俺の前だけでガキみてぇな意地を張りながら、下卑た欲望なんて持ち合わせていませんよと主張する。テメェ自身を勃起させながら言われても説得力は皆無だが、それを可愛いと思っている時点で、慎吾も箍が外れていた。でも、惚れているんだからしょうがない。口で何と言おうが、肉体は正直である。俺も、お前もな。
「……脚、開けよ」
「……い、や……、だ……」
「嫌、じゃねえだろ? どうして欲しいン? 言ってみ?」
なあ、毅? 呼ばれるとびくりと身をよじらせた。慎吾はめんどくせぇ、と一言吐き出すと中里の膝を割ることを諦め、先ほど投げたローションだのゴムだのを避け、中里の傍ら、顔面近くに腰を落とす。中里は慎吾の陰険そうな面よりも先に、陰茎と対面する形となり、びくりと身を震わせ、大きく見開いた瞳から興奮の涙を落とす。乱れた前髪と相俟って、慎吾の背筋に撫ぜるような快感が走る。
「無駄な意地は張るモンじゃねえぜ、毅」
「張って、ねえし……」
「しゃぶってくれよ。テメェがずっとそのままだと、明日の夜までかかっちまいそうだしよ」
「…………」
「俺は全然構わねえけどさァ。明日も休みだかンな」
いや今日か。と付け加えると、慎吾は更に中里に近づき、自身の陰茎を中里の削げた頬に沿うように当て、口元まで持っていく。中里は慎吾のそれを欲しがるよう、おもむろに半身を起こし出す。普段幾度となく見ている厳しい顔貌をどうにか頑張って維持していた中里は、顔面の筋肉を緩ませながら淫猥な顔つきへと変えていった。慎吾が二、三度鈴口で中里の唇を撫でると、陰茎はゆっくりとその口腔へと導かれる。その熱さと口腔の柔らかさ、そして中里がゆっくりと自らの息子を呑み込む絵面に、慎吾は腹部にぞわぞわとした興奮を感じ、一気に射精感に襲われる。反射的に中里の後頭部を抑え込み、毅、毅、と何度も名を呼びながら、喉の奥に熱い精液を放った。中里は苦しそうに呻きながらも、なんとか濁流を飲み下す。後頭部を押さえつけられていた慎吾の腕の力を感じなくなると、中里は口惜しそうに慎吾の精液をすべて絞り上げるよう、指まで使って文字通りしゃぶり尽くしていた。
涙と涎と体液でべちょべちょになりながら、自分の陰茎を離したがらない中里を見ているうちに、慎吾はその硬さを取り戻していた。どんだけ意地やプライドが邪魔をしていたところで、欲しがっていたのはコイツも同じだと確信できた。口では言わないが、態度がそう語る。半身だけ起こしていた中里を布団に押し戻しつつ、右手で中里の乳首を親指で軽く弾いてから、円を描くように乳輪を弄ってやる。
「っ……、くっ……」
慎吾から与えられる感覚すべてが、中里の脳と腰に直接甘く、重く、のしかかっていく。それでも声は出せない。出したくない。右の胸から与えられる感覚に上乗せされるよう、左の乳首を吸われた後、乳頭を割るように舌で転がされていく。敏感なところを唾液が這っていく生ぬるさが一気に中里を熱くさせ、下腹へと血液を行き渡らせる。それでも声は出したくない。慎吾の手と舌の位置が逆になり、ぬめる唾液が乾いた右乳首と絡まり、甘噛みされる。胸からの刺激が直接腹の奥でぎゅんと振り切れるように疼き、射精感へと変換されていく。
「し……、しんご……」
中里の限界も近かった。硬い乳首を柔らかく攻められると、もう堪えられそうになかった。
「ンだよ、毅」
慎吾は呼ばれると、中里に顔を向ける。元の造詣の悪さは致し方ないが、その顔と声には柔らかさが乗っかっていた。中里は慎吾と顔を合わせた途端、
「い、イっ……!!!!!! ッ……ふ、ぅ…………んんっ……!!!!」
全てを告げぬうちに、中里は慎吾の首に腕を回し、顔を寄せ、強引に唇を割り込ませていた。慎吾もそれに応えるよう舌を絡ませていた。びくびくと全身から伝わる震えが、慎吾の腰を、脳を刺激していく。震えながら求める舌を、その歯で噛ませないよう奥まで支配し、蹂躙する。苦しげな声ともいえない声が、声帯で僅かに震えている。中里が落ち着くのを待ち、慎吾はゆっくりと舌を離していく。
「すっげぇエロいコトしてくれちゃって、何処で覚えてきたンだ? 毅?」
慎吾は中里の腹にかかった精液を右手で拭い、見せつけるように中里の目前に差し出す。
「……ンなつもりは……、ねぇ……」
「乳首だけでイってよ、こんなにいっぱい射精(だ)しちまって、マジやらしいな」
慎吾が精液に塗れた細く、骨張った指を中里の唇まで運ぶと、拭うように舐め回される。
「ちが……ッ……」
じゅぷじゅぷといやらしくねばついた体液の間から聞こえる声は、体液の音に攫われそうになるくらいの声であった。その顔は粘液のように蕩けきっていた。慎吾自身も粘液ばかりが溢れ、逸る気持ちが抑えられなくなる。
「なあ毅、違くねェだろ? どうして欲しいン?」
慎吾は逸るまま中里の口から指を離すと、布団に放ったアルミ個装のローションを一個切り離す。ピッと快い音とともに封を切り、中身を右の掌にぶちまけ、指に絡ませながら襞に沿って触れていく。射精後の怠さから、中里の脚は簡単に割らせることができた。目論見通りだった。一回イかせちまえば、こっちのモンである。先に自分がイってしまったのは誤算であったが。びくりと粘液の冷たさに身を震わせ、くっ、と吐息を漏らすも、またも口を閉ざした。下の口は慎吾の指を求めるようにひくひくと疼いている。呼吸に合わせるように開きかけたそこに、力を入れて人差し指で押し込むと、あっさりと受け入れられた。熱く絡む肉の感触が直接慎吾の腰を昂らせていった。中指を増やし、さらにかき回していく。
「ぅ……う……ッ」
二本の指で内壁を穿たれ、中里の顔が淫靡な色を浮かべながら歪む。口は両手でぴったりと塞がれている。鼻から漏れる熱い息、恍惚を映し、涙を浮かべる眼。下りてくる前髪。まるで無理矢理ヤっているようだ。無理矢理か? そういう感じもまた堪らねえ。でもここまで拒まれてないなら和姦だろ? 付き合ってるンだし。初めてでもねえ。中里のすべてが慎吾を再び極限まで導かせる。焦らしているつもりはないが、中里の口から言わせたい。自分が欲しいと、ゆっくりとそのプライドを一枚ずつ削いで求めさせたい。自身は焦らされる一方、その最奥を味わうのを今か今かと待ち侘びる。
「たけし」
慎吾はゆっくりと中里の内壁から指を抜く。んんっ、と中里が口の間から息を漏らす。
「俺もよォ……、もう我慢できねえンだよ……」
中里の尻に熱く、硬い慎吾自身が触れる。煽るように陰茎を揺らす度に、穴と玉の間を先走りで濡らされる。慎吾の粘液と熱さと質量で敏感な箇所にその存在を誇示され、中里はびくりと身を反らした。
「ひ……し、しんご……、い、いれて……、ほし、い……!!」
自分の実家でと思う諸々の気持ちよりも、慎吾自身を感じたい。その気持ちが僅かに上回った。極まる性欲の前には何であっても、誰であっても平伏すことしか出来ないのである。
「……やっと聞かせてくれたな、毅。ずっとそれを待ってたンだよ、俺は」
全く焦らしやがってよォ。切なそうな笑みを浮かべながら、慎吾は中里の額にかかった前髪を上げ、キスをする。ついでに涙を拭うよう、目尻にキスを落としながら、探りつつゴムを最速で付け、ローションを追加し、ゴムに覆われた陰茎に塗ったくり、一気に挿入する。半月ぶりにありつく中里の最奥まで一気に押し進めていく。ずっと待ち望んでいた粘膜の熱さと腸壁の狭さが慎吾を融かし、ひたすら獣のようにピストンを加速させていく。熱い質量が激しく胎内で蠢き、中里を更に極めさせる。
「ッ……ぅ……し、ん……ご……」
どうにか声だけは抹殺したがって、口を塞いでいた中里の両腕を、慎吾が容易く外し、布団に縫い付けるよう、顔の横で両腕を掴む。中里は奥歯を噛みしめながら、絶え絶えに息を吐き出す。
「はぁ……たけし、オメェ、すンげェ熱ィ……」
「ぐっ……、うぅ…………んんっ…………!」
慎吾の囁きと、粘膜の擦れる音に中里は酔い痴れ、引き離されぬよう慎吾の腰に脚を絡める。重たいRを繰る男の力は強く、身をきつく締め付けられ慎吾は呻く。華奢ではあるが、それに完全に屈するほど慎吾もヤワな男でもない。離すなと言わんばかりの脚の力強さに、嬉しさが先立つ。それもあり加減もへったくれもなくなっていた。ぐちゅぐちゅと音を立てながら粘つき、内壁を激しく突く度に漏れ出す苦しそうな吐息、快楽に憑かれた中里の泣き顔、動きに合わせてばらばらと下りてくる固めた前髪。すべてが慎吾を突き動かしていた。それを感じ取るようにまた中里も、穿たれる内部から刺激を求めるよう慎吾を締め付け、僅かに腰を揺らしている。腰の奥底へと快楽が集積し、硬く穿つ陰茎の熱と、きつくびくびくと小刻みに締まる腸壁の熱は、やがてどちらのものともつかなくなる。泥濘に溺れるような痴情を求める中、誰にも聞かれない(であろう)僅かな呻き声とぬめる体液の絡む音が溢れては消えていく。
暫くふたりが貪るようひとつの熱を分かち合い、胎の底に熱く滾る興奮を限界まで孕ませていく。その開放を求めたのは中里が先であった。
「ひっ、し、しんご、ォ……、い……イく……」
吐息とともに回らない舌で中里は慎吾を呼ぶ。腰に回っていた脚がギュッと力強く慎吾を締め付けると、びくりと身を震わせた。慎吾は「たけし、早くイっちまえ」と優しく煽る。だが腰の動きは優しくはなく、激しく打ち付けたままであった。中里の両腕を解放してやり、首に腕を回すと、中里も慎吾の肩に腕を預けだす。僅かに開いた口に、再び舌を捻じ込み、根元から絡ませていく。軽く吸い上げると、中里はひっ、と怯えるような吐息を漏らし、全身を痙攣させ、びゅっびゅっ、と突き上げられながら二度目の精液を吐き出す。声帯を震わせてやらないよう、再度奥まで口腔をぴったりとその舌で封じながら、口腔の熱さと舌肉の柔らかさを味わうように、上下の粘膜を擦り合わせ、慎吾は長く待ち侘びた絶頂に向けて自らを追い詰めていた。
先の絶頂で力尽きた中里はだらりと身を布団に委ねるも、慎吾に内腿だけを掲げられ、深いところまで穿たれる。射精を終えた中里の肉壁が動く度ゆるく、きゅっ、きゅっ、と締め付けるというにはぬるい刺激がまた心地良い。だがそろそろ達したい慎吾は、中里の前立腺をぐいぐいと執拗に攻め立てながら、舌を吸い上げ、下唇を軽く食んでやる。一度離れ、中里の蕩けた顔を視認し、右の耳に甘い声を捻じ込む。
「たけし、イくぜ……」
射精を迎える直前の切なげな表情を乗せ、歪に笑う慎吾の面に、中里は直接脊髄に刻み込まれるような恍惚の波に攫われ、慎吾の陰茎をびくびくときつく締め上げると、慎吾はふーっ、と幾度も長く熱い息を吐き出しながら、中里の内壁に導かれるよう搾り取られ、ゴム越しにすべてをぶちまけた。それでも中里は快楽の合間に、歯の間から息を漏らすだけであった。
荒く吐き出す吐息が収まりかけたころ、慎吾は掲げたままであった中里の尻を、衝撃を与えぬようゆっくりと布団に下した。陰茎は抜かずに中里を見下ろす。普段きっちりとセットされた髪が乱れ、泥臭い顔がぐちゃぐちゃに濡れ、幼さを際立出せる。毛と体液に覆われた胸と、欲を吐き出してもなお存在感を示している濡れそぼった陰茎を乗せた腹が、呼吸に合わせて息づいている。それを見ていると、慎吾は中里の実家でヤりきった事実をまざまざと感じ、自分の末恐ろしさと凄まじさを今になって思い知る。布団に身を委ねる中里の肉体は、やはり成人男性のそれではあるが、その胎の中に(ゴム越しではあるが)精液を埋めた後ともなると、汚さ云々よりも、愛おしさばかりが先立つ。
「頑張ったな……毅。テメェ、どんだけヤってもデケェ声我慢できたことなかったもんな……」
いい子だな、たけちゃん。上等だったぜと慎吾が甘やかすように中里の頬を両手で挟みながら、自分を向かせる。
「バ……バカ野郎……!! そもそもお前がっ……!!」
息交じりのかすれた声で反論するも、慎吾が浅いところで腰を揺らすと、中里はとっさに右手で口を塞ぐ。
「でも、よかったろ? なンせ半月ぶりに俺様のチンポにありつけたんだからよ?」
「………………」
中里は慎吾から眼を逸らし、チッ、と舌打ちする。どんな方法で否定されても、最後まで済ませてしまった事実こそが、中里にとっての肯定であることを慎吾が一番よく知っていた。お前のそういうところ、嫌いじゃねぇぜ。慎吾は言うと、中里の乱れた前髪を愛おしそうに後ろに流しながら、舌先だけを軽く絡めるキスをしてから、口惜しそうに離れがたいその身から陰茎を引き抜いた。口惜しそうではあったが、その顔にはどこか明るさが見えていた。
*****
「チッ……クソっ……。ざけンじゃねえ……」
カーテンの隙間から陽光を感じ取った中里は、実家で年下のガキに好き勝手させられた数時間前のコトのあれこれを思い出し、自己嫌悪に陥っていた。舌打ちしたのが聞こえていたのか、向かい合って寝ていた慎吾がおもむろに瞼を開き、眠そうな眼で中里を見つめる。後ろめたそうに中里は慎吾から視線を外す。
「おはよ……。あンだよ、随分ご機嫌ナナメだなあ、たけちゃん」
まあいつものことか、と呟きながら慎吾はゆっくりと身を上げ、床に放ってあったMA-1から煙草とライターを取り出して、一本吸い始めた。
「おまえ……こんな……、俺ンち、実家だぞ……。バレたらどうすんだよ……」
「頑丈な家っぽいし、バレるかよ。バレてたまるか。俺様に任せろ。それに、二階は今テメェくらいしか使ってねえって、さっき電話口で言ってたじゃねえか」
「あ……」
中里は駐車場で電話した際、二言三言言った時のことを思い出した。どうせ二階は俺くらいしか使ってねえし、いいンべ? 確かに言った。不意であった。不意すぎて、中里もそう言ったことを忘れていたくらいであった。中里の顔がどんどん不満げに曇っていく。
「さすがに親御様が上でお休みになるなら無理かも、とは思ったがな。なかなかスリリングでよかったぜ」
慎吾は中里の顔面に大きく煙を吐き出す。
「お前なあ……」
呆れながら紫煙に顔をしかめた中里の顔に、慎吾は色を見出して当てられそうになる。煙が薄くなるのを見計らい、キスを求めた。中里が拒んでいるところを、唇を舐めながら割り、口腔の内壁からゆっくりと攻め、少しずつ誘い出すように中里の舌を絡ませていく。僅かながら、徐々に中里の方から求めてくるようになってくる。そのかわり、やめろと言いたげに慎吾の胸に手を当て、身を離そうとする。が、その手に力は入っていない。暫くして、慎吾は煙草の大半が灰になりかけていたのに気付き、惜しそうに中里の口から離れ、煙草を灰皿に捻じ込んだ。中里は自分の想いが通じたかのように思えて、ほっとしていた。
「あ…… 年賀持って来ンの忘れた……」
ほっとしたからなのか、中里は思い出したかのように口走る。
「なンだよいきなり」
「ああ。一応うち用に、年賀の菓子買ったンがあンだけど、アパートに置いてきちまった……」
「テメェいつもそういうとこ抜けてるよな」
抜けているくせに、そういうところはものすごく義理堅い。世間体に準じた身の振り方が出来る男。世間体は一応あるが、それでも基本はクソ喰らえのスタンスの慎吾は、正月だからと言って実家に菓子持っていくどころか食いものをかっさらっていくし、親戚のガキにびた一文お年玉をやるような人間でもない。だが、中里のそのクソ真面目さには愛おしささえ覚えてしまう。そういうところが好きだが、真似したいというのはやはり違うのである。
「うるせぇ……、突然他人の家でヤる奴には言われたくねえ……。ってか、風呂入りてェ……」
「まァ、オメエくらいは入ってってもいいンじゃね? オメェンちなんだし。俺ァ待ってるぜ」
そうか、と中里は返すも、元はと言えば自分が初詣に行こうと誘った口であったので、最初は自分だったと諦めた。
「ああ、俺から誘った手前悪ィけど、そうしてくれると助かるな……」
「俺は全然悪ィって思ってねえぜ。初めて妙義神社行ってよ、クッソ疲れたけどめちゃくちゃ楽しかった。テメェと新年早々ヤれたのも最高だったぜ。凶なンて引いちまったけど、今年はいい年になりそうだな」
やっぱ実家(ここ)で致したコイツにも悪いトコがあったンじゃねえかと中里は思い返しながら、この野郎、と軽く小突いて、慎吾の放った言葉に顔を朱くしていた。慎吾本人は、布団片付けとくからよ、と床に撒かれた着替えを下着から一枚ずつ身に着けていく。そういや毅の声、あんま聞けなかったな。場所が場所だけに仕方がないとは思うが、性交の際にほとんど声を抑えていた努力はすげぇとは思うし、抑えた声もそれはそれで堪らないものがあった。(もちろん慎吾も常識の範囲で囁いていたつもりでいた)だけどヤマで毎度聴くような、張り上げたデカい声で拒ませたいし、自分しか知らない(筈の)声でもっといやらしく喘がせたい。一人新年早々のセックスを振り返っていると、そんな声が恋しくなり、朝勃ちにも拍車がかかる。十八号沿線にラブホ街があったことを思い出したが、そんなカネは持ち合わせてなかった。いっそ安中に着いたらもう一回戦ヤっちまおうかなどと思ってしまい、性欲ばかりが浮かんでは消える。慎吾は風呂の様子を見に行くために、重たそうな腰を上げていた全裸の中里の着替えを手伝ってやることにした。
【了】
2019/02/04
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