最終防衛線

アナタとワタシ
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西園寺とわたし(2008)


 盛者必衰と云う言葉があるように、人間は栄えても必ず衰える運命にある。かつて寺山修司はこう語った。「人は未完全な死体として生まれてきて、死んだ時に完全な死体となる。」と。その完全なる死体となるまでに人は何度も苦悩に苛まれ、その苦悩から解放される為の手法を探り当て、そして解放へと突き進む。また己の欲望や執着を捨てる事も迷いから解放していく行為であるともとれるだろう。これらの連鎖を総括して人生と云うこの世に存在する人物一人一人の脚本が描かれてゆくのである。
 私は幼い頃見たある物語を、最近になって見返してみた。そこに登場するある少年は、気性が荒く暴力的な性格でありながら、内心では愛や友情を渇望していた。だが少年はその性格ゆえに事件を起こし全てを失ってしまう…といったような挿話であった。形の見えないものを欲するあまりに過ちを犯してしまった少年の行為には、迷いが人の心を動かしていることを表現しているように思えた。時に思考は人格や良心をも豹変させる。それを抑制させるのは自身しかいない。思考の取捨選択も時には必要なのではないか。それを適切に選択できればその彼もきっと全てを失わずにすんだのかもしれない。
 すなわち、迷いと云う思考能力は人生において重要な部分を占めている。だがその迷いにすべて決着をつけるとなると別のものを失うこともあるだろう。黒か白か、0か1かをきっちりと決めるべきもの、大した事ではないから決めなくともよいものを判断する力を身につける事が人生において大切な事ではないのだろうか。それを正しく見極められてこそ、人生と云う脚本に良いものを書き残せるのではないのだろうか。ただ、それを判断するのはあなた自身であるが。(了)

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