いいこと、いいもの
「いらっしゃいませ」
「……番の煙草、ワンカートン、あとホットコーヒーMサイズください」
「はい、お会計は……」
見慣れた顔の店員。だが制服は二か月前とはガラっと様変わりしていた。一言で言えば、県外でもよく見る青い大手チェーンの制服だった。その様子に、中里毅は少しばかり寂しさを覚えていた。
妙義山の駐車場に愛車のBNR-32を停め、ボンネットに尻を乗せてまだ暖かいコーヒーを喉元に流し込む。二か月前とわずかに違う味であった。毅は峠の下にあったコンビニのことを思い出していた。走り始めたころから馴染みのあるコンビニで、夏になれば39円アイスをメンバー全員分買いこんで迷惑がられたり、慎吾のいいなりになってパシられた挙句、快楽天と失楽天を間違えて買ってきてしこたま怒られたり、1kgカレーをメンバー3人がかりで食ってみたり、メンバーが夜勤バイトの女の子に惚れ込んだというので、恋の応援なんかしてみたり……挙げればキリがなかった。それだけ赤い看板のコンビニには、思い出があったのだ。
「あそこのコンビニ、変わっちまったな」
視線を山肌と夜空が絶妙なコントラストを彩っていた、芸術めいた背景から目の前の男に視線を移した。男は当然のように毅の隣に貧相な尻を乗せた。尻は貧相ではあるが顔は最悪であった。毅もよく見知った男――庄司慎吾である。
「珍しいな。いつものオメーだったらどーでもいい、とか言うだろうに」
「俺、高校出て少し経ったくらいに、あのコンビニでバイトしてたから。あんまり長くいなかったけどよ、松井田、地元でさ」
「へえ……」
慎吾が自ら経歴を語ることは滅多にない。その物珍しさに毅はほお、と間抜けな面を慎吾に晒す。慎吾はその面を見るまでもなくパーカーから煙草を取り出して、一本吸い始めた。
「まあ潰れてせいせいしたぜ。しょべえ店だったし、店長はクソうざかったし」
その言葉に毅はムッとした。いいツラだな、と慎吾はようやく毅に顔を向け、煙を肺にまで巡らせる。
「てめぇ……」
「下の店なんてひっとことも言ってねえだろ、馬鹿」
ふう、と慎吾は毅の顔に副流煙を吐き出す。毅はむせた。
「まあ、39円アイスには世話になったな。弁当も安かった。給料日前とか何度も助けられたし」
そう語る慎吾の顔に、どこか愛嬌を感じてしまった。気のせいだろうなと思いつつ、その感情を流すようにコーヒーを流し込む。少し冷たくなっていた。
「俺はおまえに地元を愛する心があったことに驚いたよ」
上毛かるたさえ満足に暗唱できねえくせによ、とちょっと上から目線でにやつく毅。中学までやってたテメーがおかしい、とぼやく慎吾がボンネットの上に灰を落とそうとしたところを、ギリギリのところで止めた。
「碓氷(じもと)は沙雪たちに乗っ取られたからここに来てるだけだ。長野まで行くよか近ぇンべ」
「そうかい」
「うっせえからな、アイツ。だから俺様は妙義で走ってんだよ」
「テメェ……!! そういうこと言うなよ……!」
彼女と幼馴染であった慎吾だろうが、一度好きになった女性に対しての辛辣な言い方はやはり気のいいものではなかった。
「どう考えても本当のことだろうよ。そういや俺がテメーにおっぱいアイス買ってやった時のツラ、今でも思い出せるわ」
慎吾はけたけた笑いながら地面に煙草の灰を落として、さらに吸い込む。毅は夏に「ドーテーにはこれで十分だろ」とからかわれながら、おっぱいアイスを渡してきやがった慎吾のしょうもないけどとてつもなくウケてるようなツラを思い出していた。やっぱあの時のことはムカつく。でもあの時のコンビニはまだ潰れるとか、改装する気配さえなかったことも同時に思い出していた。きっと変わっていくんだろうか、ナイトキッズも、傍らの男も、そして、俺も……
「おい毅」
弱気な面になっていた毅を、慎吾が覗き込む。煙草を足元でひねり潰していた。
「高っけェ肉まんと、からあげクン買って来い」
「ハァ!!?? 慎吾どうせ今から下り走るんだろ!? テメーで買って来いよ!?」
「うるせぇ」慎吾は逆ギレしかけながらも、毅の耳元で囁く。
「なァにもテメーだけ行けとは言ってねえぜ。たまには毅のダウンヒル…… 特等席(ナビ)で見てぇンだよ……」
全身の血が沸き立つようであった。寒気というよりは、好意に由来する熱さが毅の全身を支配していた。中里毅は、庄司慎吾の甘く囁くようなこの声に、如何せん弱い男であった。
「ま、まあ…… そういうことなら…… いいぜ……、乗れ」
毅はBNR-32の鍵を開けて乗り込む。同時に慎吾はナビに乗り込む。BNR-32――スカイラインGT-Rの官能的なテール・ランプは、一瞬にして夜の峠に消えていった。
【了】
2018/10 UP