最終防衛線

ちょっとした日常の切り抜き
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黒い稲妻・overture

 俺が妙義山に行こうと思ったのは、ほんのちょっとした出来心だった。赤城では白い彗星と呼ばれる男がその名を轟かせ始めた頃だった。それよりも少し前に、妙義に馬鹿ッ早いS13がいるという噂を聞いた。赤城の白い彗星――高橋涼介には敵わないが、俺も走り屋の端くれとして純粋に興味を持った。俺の家は伊勢崎で、走るにしても、ギャラリーするにしても、近場の赤城がホームといえた。(それでも距離にしたら結構遠い)だが、どこのチームに入っているわけではなかった。ただタイヤを滑らせながらコーナーを攻め、アクセルをギリギリまで開けて、ひたすら走り込むのが楽しかった。
 俺は週末、愛車のプリメーラに乗り込んで、国道50号から18号を渡り妙義にやってきた。道の駅の駐車場にクルマを駐め、歩きで上へと登っていく。ギャラリーの多いところで適当に足を止める。
「お前も毅目当てか? 最近多いンだよな」
「ええ、まあ……」
 無線機を持っていた作務衣の男が話しかけてくる。チームの人だろうか。そして毅というのは、件のS13乗りの名前だろうか。
「すげえぜ、あいつ。まあ見てろよ」
 こちらヨシタケ、対向車なし、いつでも行けるぜ。作務衣の男が無線で話しかける。俺は峠道を見つめ、S13がこちらに来るのを待ち侘びた。

***

 ドギャアアアアアとCA18DATのエンジン音とスキール音がこちらに近づいてくる。暗闇から徐々に明るく周囲を照らし出すヘッドライト。こちらに突っ込むように大仰なドリフトでコーナーを攻めてくる、夜の闇と同化した漆黒のシルビア。
「白い稲妻……いや、黒い稲妻……」
 俺は思わず口にしていた。白い稲妻はS13じゃなくてS110だったか、とも思ったが、あの黒いシルビアを見た瞬間に、稲妻に打たれたようにビリビリした。こんな突っ込みする奴は、赤城だとあの高橋涼介くらいじゃないか。それくらい、やばかった。

 あのシルビアに乗っているのはどんな奴なんだろうと、俺は先の駐車場に戻り、その顔を確かめてみようと思った。ほんのちょっとした出来心だった。俺はプリメーラのドアにもたれ、自販機で買ったコーヒーを飲みながら、じっとシルビアの方を見ていた。
 男はシルビアのボンネットに尻を下ろし、煙草を吸いながら先の作務衣の男と話し込んでいる。だが、しょぼい外灯の光ではその顔は見えなかった。
「だからよ毅、お前作業着で来ンのやめろよな~」
「家帰る時間だって惜しいンだよ。俺は。弘二だって寿司屋の格好のままヤマ来てんじゃねえかよ」
「って言ってもお前ンち、すぐ下のくせによく言うぜ。ほら、俺は自営だから親父に怒られるだけだからいいけどよ。お前は、まずいだろ、どっかで職場漏れたらやべえって」
「会社に見つかっちゃ、まずいよな。でも一回ウチ帰るにしてもおふくろうるせえンだよなァ。 いい加減ウチ出てェよ」
 S13の男は煙草を咥えたまま作業着のチャックを下ろし、脱いだそれをめんどくさそうに助手席のドアを開けて、放り投げた。その時、こちらを振り向いた。
 まずった。見つかっちまった。俺は向かってくる男から視線を逸らした。
「そのP10、かっこいいな。足回りが32Mと一緒って聞くけど、どうだ?」
 しかし話しかけられて視線を外したままなのもどうかと思い、男の顔を向く。作業着からニスモのTシャツを露わにしたS13の男を見た感想は正直「かわいい」だった。年齢は俺より若いのだろうが、男らしさを意識して固めた髪も、はっきりとした鼻筋も、太い眉も、どこをどう取っても男らしい。だが大ぶりの目が幼さを感じさせるのか、その男らしさが相応のモノでないように感じられて、幼さ、ひいてはかわいらしさを感じさせる。若いから、という理由でかわいいに至るとは思わない。でもその大ぶりで、長い睫毛の乗った目を離せずにいた。
 突然話しかけられて、俺は若干動揺しながらも、
「めっちゃ最高っスよ。FFですけど、乗ってて楽しいですし」
「欧州車にも引けを取らないもんな。大事にしろよ」
「ありがとうございます」
 煙を吐き出すさまに違和感を覚えながらも、優しく俺に笑いかけてきたS13の黒い稲妻の笑顔は、野暮ったさのなかに、きらきらと輝く純粋さがあった。

***

 それからというもの、あちらこちらで「黒い稲妻」のバトルの名声を聞くようになった。俺は最低でも月二回のペースで妙義に行くようになった。流石にガス代はかさむが、あの人の野暮ったくも、きらきらと笑う顔を見ていたくて、片道一時間弱の道程を駆けていったら、いつの間にかナイトキッズのステッカーまで頂いてしまった。
「伊勢崎からじゃあ、おまえがナイトキッズ最東端だな」  と言ってステッカーを授けて下さったS13の黒い稲妻――毅さんは、それから年を重ねGT-Rの黒い稲妻・毅さんになっても、そのかわいさと、野暮ったさ、そして走りに対する情熱とひたむきさは、変わることがないのであった。

【了】

2019/03/11 UP 2023/5/5 revision
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