最終防衛線

ちょっとした日常の切り抜き
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R

 雨の妙義で受けた傷もだいぶ癒え、その情景も趣だと言えるまでにはなっていた。毅と慎吾以外のメンバーは、ここで平成を終える気がなかったらしく、中之嶽の駐車場に二人きりであった。一生に一度あるかどうかのお祭り騒ぎ、むさ苦しい野郎だけで迎えるモンでも、ヤマで迎えるモンでもないと思っているのだろう。
「俺はここで迎えたかったンだけどな、アイツらヤマから下りていきやがる。わっかんねえな」
「俺はお前のそういうとこ、わかんねえわ」
 毅は雨で濡れた地に二本の脚で立ち、靄かかった金洞山を見上げる。それは夜の闇と霧に包まれほぼ見えない。まるで隣に立つ野郎のようだ。どれだけ自分が暴こうとしても本心を見透かすことができない。わかんねえなら帰ればいいだろ、毅は言う。だが慎吾は歪に笑い、本心を見透かせない目を毅に見せた。
「テメェの嫌がるツラを見てるほうが楽しいンだよ」
「アホくせェ、それこそ意味わかんねえわ」
 暴くことができない癖に、隣に立つ男は自分の思考を難なく暴いてくる。暴かれているのではなく、隣に立つ男に不遜な面を見せられても、悪辣な言葉を吐かれても、それを赦しているだけ、或いは心の奥底で、なにか(そのなにかが不明瞭でも)を赦されたいのかもしれない。
「ああ、あと十秒だ」
 毅は腕時計を見、ほぼ見えない靄かかったヤマを見上げた。慎吾は黙ったまま毅の腕を引き、こちらに寄せ、唇を奪う。そういうことをされても、毅は慎吾を許していた。だから、そのまま舌を絡ませられても、息が上がりそうになっても、毅も慎吾を無理矢理引き剥がそうとしない。慎吾は柔らかな感触とともに、いつかの雨のことを思い出す。どうにかして自身の矜持を保とうとしていた男の顔に、妙義最速の男が他所モンに敗れたことにショックもあったが、興奮していた自分がいたのだ。俺だけのものにしたかった。ずっと好きだったのかもしれない。EG6と同じくらいに、捧げたいと思った。
 十秒どころか余裕で二、三分は唇を味わっていた慎吾が、満足した笑みを乗せて毅を突き放す。右手の甲で唇を拭う毅の顔が赤く染まっていたことに気付ける程度には、近い距離であった。
「い……いきなり何しやがる……」
「毅クンの童貞不敗神話のレコードが今後とも続きますように、っていう願掛け?」
 テメェ!と激昂し、一気に身体が熱に浮かされた毅は慎吾の胸倉を掴んでかかる。
「おいおい毅、ふたりきりだろうと和を乱しちゃあいけねえぜ。元号変わって早々、穏やかじゃねえな。令和の意味くらい考えろってンだ」
「そもそも、オメェが……」
「俺は新年早々和をもって良き関係にしていこうって思ってただけなンによ。全くテメェは勘違い甚だしいにもほどがあるぜ」
「はあ……?」
 それでも、良き関係にしていこうと言ってのけた慎吾の目は珍しく真剣で、それを見てしまった毅は、己が自尊心をくすぐられる感覚を覚えて、赦してしまうのであった。
「ところで、あけましておめでとう、でいいのか、毅」
「まあ、いいンじゃねえの。令和もよろしくな、慎吾」
 毅の顔は、赤みを帯びながらも晴れやかな面であった。

 不敗神話のR――そう豪語する男を慎吾はもう誰にも渡したくなかった。俺も毅もここで生きて、ここでふたり死んでいく。それでいい。そう思える程度には大人になったのだろう、と自分でも思っている。だから、その情欲を共有すべく、慎吾は毅の耳元で「雨も蒸発させるくらいに、俺をアツく燃やしてくれよな、そのケツでよォ」と耳朶を食みながら甘く囁き、さあホテルで一発と思った矢先、見事なまでに毅の右拳がみぞおちにヒットし、しばしの間傍らのEG6のルーフにつかまり、悶絶することと相成った。

【了】
2018/10 UP
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