道
六月も半ば、梅雨の晴れ間を見つけては峠に集まる男たちも、夜半を過ぎる頃には一人二人とその影も麓へと溶けていく。
「毅、帰(け)ぇンべや」
それらの連中に続くよう、薄手の赤いフルジップパーカを羽織り、その中からド派手な女の描かれたTシャツを覗かせた男が、この山で最速を未だに掲げ続けている男の名を呼ぶ。
「そうだな、明日も仕事だし」
「乗ってけよ」
「悪ィな」
妙義最速の――中里毅の32は現在久々のカスタム・チューンのために主と一時別れていた。それでも中里は、足はないがこの山に来たいと頼み、言われるがまま慎吾も別にいいぜ、と自然に返していた。
薄暗い山を背にした男は、やはりこの妙義山の如く荒々しく、雄々しくて、どれだけ負けが立て込もうが、飽くことなく走るために日々の給与をRのために溶かしている。堅いように見えて、クルマのことになると何も見えなくなるこの男を、今でも好敵手として見ているが、いつしかそれ以上を求めてしまい、いがみ合った夏を終え、和解した秋から更に深くなった冬を越し、妙義で迎えた二度目の夏には特別な関係にまで至っていた。要するに、デキていた。
そういう訳で、B16Aを甲高く唸らせて、慎吾は中里と共に下の駐車場から国道18号方面へと下りていく。五料の交差点を右折し、安中方面にある中里宅へ送るつもりであったが、慎吾は思いついたように左折し、横川方面へと西進する。
「おい、ちょっと……、明日仕事だって……」
「解ってるって、毅、ちょっと付き合え」
旧道の看板を見つめていた中里は、旧道の闇に飲まれるにつれて柄にもなく後ろめたいような、怯えたような目を慎吾へと向けていたが、夜中の峠道をひた走る慎吾がそれを知る由もなく、ただただ妙義にも似たそのコースを上って行った。
***
旧道を入ってから十五分は経っただろうか、途中で暗がりになっている駐車場へと入る。素人であれば駐車場の位置など看板を見ないとわからないものだが、夜中であろうが看板さえ見ることなく、その場所めがけてすっと入れていく慎吾のそれは慣れたものであった。目立たない奥の方へEG-6を入れると、慎吾はそこでサイドブレーキを引いた。
「なんだよ、慎吾、ここ……」
妙義の麓で生まれ、西毛、特にこの辺の地理に明るい中里が、ここがどこであるかわからないわけがなかった。
「熊野平駅ンとこの駐車場」
「なこたァ俺でも知ってるぜ。でも、慎吾、なんで今、ここなんだよ……」
沙雪さんが、と中里が続けようとしたところを、慎吾がすかさず遮る。
「アイツの地元である以前に、松井田……碓氷は俺の地元なンだよ!! ホームって言うにはアレだけど、まぁ、俺にだって土地勘くらいあるよ……」
慎吾はベルトを外し、毅、と囁きながら、その頬を寄せてキスをする。あっさりと受け入れられ、深く貪っていく。
数か月前に中里が振られた女の地元――そもそも慎吾の幼馴染でもあった――である以前に、碓氷郡松井田町は俺の地元なんだ。生まれた時から妙義とともに生きてきたこの男が、妙義山を背景にRとたたずむ姿はサマになる。それと同じとは言わねえし、言えねえのかもしれないが、俺にもこの碓氷松井田の土地勘は血に肉に染みついている。免許を取ったばかりの頃は、俺の速さを示したくて、買ったばかりのEG-6とともに碓氷で馴らしたものだ。妙義に来たのは、その速さを他の連中にも見せつけたかったからだ。そこには既に最速と呼ばれた毅がいた。イキリきっていた俺は毅に下りで挑んだが、GT-Rのグレードだけに頼らない走りがそこにあった。それにテンロクNAで肉薄してやりたいと思った。ようやくそこに肉薄出来るようになってきた。だが碓氷を見切ったわけではないし、今でも時々一人で走りに来る。やはり俺も地元の人間なんだ。碓氷に生まれ、碓氷で死ぬかはわからないが、やはり俺も碓氷で生まれた男なんだ。俺の地元を、この男に見せたかった。既にこの土地を毅が知ってようが関係ない。沙雪の地元なんて言わせたくねえし、それ以前に俺の地元で、「碓氷の俺」を見せたかったんだ。
「っ……あ……、テメェ……!!」
つい盛り上がってしまい、右手で中里自身に触れていた。耐えかねた中里に引き離され、慎吾はムッとしたが、まあお楽しみは後で取っておくもんだぜ、と耳に直接なぶるように囁いてから再びエンジンをかけ、長野県境まで更に登って行った。
***
「毅、「俺」を見てくれ」
県境まで来ると一度Uターンし、群馬側の元の道を下る形となる。先の悪ふざけとも取れるような悪辣な面から一転し、真面目腐ったような顔で慎吾は中里に言うと、ギアを一速に入れ、アクセルを踏み込んだ。
そのときの慎吾の碓氷のダウンヒルは、真子と沙雪のそれに肉薄するとも劣らないタイムだったというが、非公式ゆえに何も残らなかったという。
【了】
2019/06 UP